B70「ヴィジョン・オブ・スプレンダー」

B70「ヴィジョン・オブ・スプレンダー」今日はB70「ヴィジョン・オブ・スプレンダー」のご紹介です。
「壮麗なるビジョン」と聞くと、たいていの人は自分自身の輝かしい未来について祝福を得たような気持ちになるのではないでしょうか。 しかし、「新・ネーミング・オブ・ザ・ボトル」にはこのように記されています。 『壮麗なるビジョンとは、自己の深みにある苦しみをどのように手放して苦しみの代わりにその瞬間を祝うために、喜びがあることを瞬間ごとに知ることです。(多くの場合クリアは苦しみと苦しみの理解を意味します。)』とあります。

そして、『このボトルは私たちの混乱と友達になることの機会を私たちに与えます。もしそれをすることができれば、以前に自分が想像できた以上の何かのビジョンをつかむことができるでしょう。』と続けられています。

これはいわば、自分のなかにある苦しみを手放すことができると、その瞬間にすっと入れ替わるようにそこには喜びが入り込むことによって、手放せば手放すほどに喜びが増えるということを実感できますよ、ということでしょうか。 「手放す」という表現は、本当にオーラソーマではよく使われるのですが、これほど難しいことはありません。 これがすぐに理解できるのであれば、オーラソーマをやる必要なんてないのじゃないか、と思うほどです。

「手放す」の理解は、白い服に出来た染みのように染み抜きに出して「あ~、ようやくとれたわ。」と思っていると、ひと冬たんすの中に入れておいてまた次の夏に出してみると、「やだぁ! こんなところに染みが浮き上がってるぅ!」というように、わかった、と思うとまたじわじわと別の場所に浮き出てくる、というような感じがあります。 今の時点での私の理解は、といえば、「手放す」というのは文字通り、ぱっと手を離し、つかんでいた苦しみをどこかのゴミ捨て場に放り投げてくる、というようなことではないだろう、ということです。 確かに放り出せば、一瞬肩の荷は下ります。 けれど、汚いものには蓋をせよ、というような行いでは、またそれは回りまわって自分の元へやってくる、というような気がします。

「手放す」とは、むしろそこに苦しみが「ある」ということを「見つめる」「理解する」ということだと思うのです。 私たちが苦しむのはたいていの場合、苦しみの正体やありかがわからなくて混乱するのであって、「そこにある」「その正体は何なんだ?」「あぁ、それはこういうことから来る苦しみか」とわかれば、苦しみは簡単になくならず「ある」がままでも、ほっとするのではないでしょうか。

お化け屋敷に入ると、どこからどんな怪物が出てくるかわからないから怖いのであって、友達につきあって2度目に入り、あの角に来るとあの壁が回ってお岩さんがこっちを向く、とかひんやりと冷たい水が落ちてくる、とかわかっていればもう怖くはありません。 それに似ているように思います。

イエローには「物事を明晰に見る」という意味があります。 「明晰」とは「明らかに他とは違う、とはっきりとわかること」です。 いろんなことがこんがらがってぐちゃぐちゃになってしまい、とにかくみんな私が悪いのよ、という状態から脱して、明晰にこの苦しみが何から来ているのものなのか、が分かればあとは「手放す」ことは簡単でしょう。 「手放す」と言うと、難しく思えるのですが、「手放す」以前に何をすれば手放せるのか、を考えて、それを「手放す」の一連の意味に加えたら、ちょっとは「手放す」の意味がわかったような気になりました。

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