B6「エナジーボトル」

B6「エナジーボトル」ゴールデンスレッドで出すと、私が実際に選んだB24の次に使うことになるのがこのB6「エナジー・ボトル」です。上下レッドでいかにも「エナジー」に満ちてるぅ、って感じでもうそれだけでなんも説明いりまへんわ、って感じですよね。

私は印刷のレッドよりは、オーラソーマの光のレッドのほうがワインのようできれいに見えてまだしも好きですが、それでも4本のうちに入ってくるかというとそこまでではなく、これまでに1回も選んだことのないボトルです。そして何となくですが、これからも近いうちの将来としては選びそうもない気がするボトルです。

そういう自分では決して選ばないボトルとワークすることになるなんて、これもまたゴールデンスレッドの醍醐味ですかね。いわば、懐石料理のフルコースを味わっているような気分です。懐石料理のコースの内容は事前にすべてを見ていない方が楽しめます。お皿が供されたとき、「きゃーっ、きれい! おいしそう。」とか「へぇ!この食材をこんな料理法にする手があったんだぁ。」というような軽い驚きが楽しいからです。これは料理人に自分の胃袋を「どうにでもして」と委ねる楽しみでもあります。ゴールデンスレッドもこの懐石のフルコースと同じです。

何のボトルが現れるかわからないけれど、出てきたものは無条件に受け入れてみましょう、さぁて、ワークしてどんなことが起こるか・・・「私をどうにでもして」という楽しみ。

それでもこのレッド/レッドは、いかにも「火の世界」という感じがして、今回の私の旅を最も象徴するようなボトルである気もして、ちょっと気になってはいました。

「情熱的」「エネルギッシュ」「パワフル」「活力にあふれている」というような言葉から皆さんなら何を想像しますか?私は、「見たまんま」「裏表もな~んもない」「単細胞」「体育会系」というような人を想像します。だからどうも探求するには及ばないような気がして、どうしてもレッドのエネルギーを遠ざけがちでした。でも冷え性なので、体が芯から冷えたようなときとか、なんかけだるいのだけれど頑張って仕事をしなくてはいけないようなときにポマンダーでレッドを使っているくらいでした。

でも、レッドのエネルギーとは本当にそのようなものなのだろうか・・?こんな薄っぺらい解釈でいいのだろうか、という気持ちがありました。レッドとは私たちが生まれて最初に目にする色です。そして、生命の樹のマルクトという一番根底のスフィアに位置します。生命の樹を少しかじったとき、「マルクトのエネルギー」というとどうしても天界のことを考えがちな人にとっては真逆の場所のように思いがちだけれど、マルクトのエネルギーをなめてはいけない、とどこかに書いてあったことを記憶しています。そもそも私たち人間はどこまでいっても天界に行けるわけではないのだから、いくらそこに思いを馳せてもあくまでも地に足つけたマルクトのエネルギーのなかからこそそう思うエネルギーも湧いて出ているのだ、ということを常に認識していなくてはいけない、ということでしょうか。

加えて人が命をつなぐ、という意味での「生き抜く」ときに見せるエネルギーを単純になめてはいけない、ということもあるでしょう。これに関しては私は生涯忘れられない映像が脳裏にこびりついています。あるとき見ていた韓国のストリートチルドレン「コッチェビ」の実態を伝える報道番組。

彼らは親もおらず、ひとりで市場で人々が食べ物を買ったときの受け渡しの際、なにかのはずみでほんの少しこぼれ落ちる食べ物をすかさず拾い食いすることでなんとか命をつないでいます。着るものもなく、ぼろきれを身にまとい、どろどろで真っ黒です。

映像は、その市場の広場で、ある一人の少年がもう立っていることもできなくなって、地べたに横たわったときのことです。それはちょっと疲れたから体を横たえよう、というような休憩ではなく、まさしく命の灯が消えかかるときでした。すると次の瞬間、なんと同じコッチェビの仲間の少年が、「あ、椅子ができた」とばかりに無表情にその横たわっている子の上に座ったのです。その瞬間、彼は「人」から単なる「モノ」になりました。

もちろん、彼にはもう「俺の上からどけ!」と言ったり、追い払ったり気力はありません。何も見つめていないその瞳はただ表情もないまま見開かれ、そのまま力尽きるのを待っているのでした。

その子の上に座った子もギリギリで生きています。自分がひとりで生き抜いていく、ということはこういうことなのか、という現実を突きつけられ、私は涙が止まりませんでした。目を背けることさえできず、ただただ大きく目を見開いたまま、そこから滂沱のように涙があふれました。たぶん、彼らには人間の尊厳であるとか、倫理観であるとか、そんなきれいごとは通用しないし、第一もう思考能力もないでしょう。頭のなかにはどうしたら次の瞬間、食べ物が落ちたら、一番早くそれに向かって駆け寄ることができるポジションをとり、態勢を整えておくか、ということだけ。わかったことはただひとつ。それでも人間は生きていくのだ、死ぬ瞬間まで出来る限り、生きていこうとするのだ、ということです。

すさまじいまでの「レッドのエネルギー」とはそういうことでしょう。自分がそれを使いこなす、という意志があるかどうか以前に、ただただレッドのエネルギーとはそこに「在る」という気がします。またそれほどのすさまじいエネルギーだからこそ、それは意識的に使い方を間違えると自分の身を焼き尽くしてしまうほどのものとなって跳ね返ってきます。私たちはレッドのエネルギーの使い方を間違えないように、ときには自分に意識的になりながらレッドのワークに取り組むことが必要なのかもしれません。

B6「エナジー・ボトル」「ベーシックな愛のエネルギーを取り戻す。」キーノートは、「人生に対する情熱と愛」。アファメーションは、「私は私がなすことすべてが、人生に愛を育てます。」特項として、

  • *午後の遅い時間に使用すると眠れなくなることがある。
  • *大手術を受けたあとやひどい疲労感を感じたときにつけるとよい。
  • *しもやけ
  • *性的な問題
  • *鉄分欠乏症
  • *四肢の運動機能回復などをサポートする。

おこりっぽかったり、いつもなぜだかイライラしてしまう、というように上手に自分のエネルギーをコントロールできない人は、このB6「エナジーボトル」でレッドのワークをしてみるといいかもしれません。

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